時は過ぎていく。
いつの間にかふた月が過ぎ、冬が終わろうとしていた。
しかし、依然として幽閉されたまま部屋の外に出られないゼフィとルウは、不毛な日々を送っていた。
初めはルウと共に何とかして王城を脱出することを試みたが、部屋を見張っている多数の監視兵を相手にするのは不可能だった。
何度も試みた脱出作戦は全て失敗し、ゼフィは徐々に何もかもを諦め始めていた。
希望の光は一筋も見えてこないような気がした。

「王女様、お食事の時間です」
今日も決まった時間になると、監視兵はドアを開けた。
ベッドの上で虚ろな表情で座っていたゼフィは、監視兵が開けたドアから召使いが入ってくるのをぼんやりと見ていた。

「王女様、お食事をご用意いたしました」
ゼフィは、何かがいつもと違うことに気づいた。
今日の食事を持ってきた召使いは、いつも出入りしていた召使いではない。
召使いがかすかに微笑みながらテーブルに料理を並べるのを、ゼフィは黙って見ていた。
すると、召使いは入口に立つ監視兵の目を気にしながら、手に握っていたメモ紙のようなものを皿の下に押し込んだ。
ゼフィはただ、じっと見ていた。ルウもやはり反応はしなかった。

「ぐずぐずするな、早く出ろ」
入口の監視兵が険しい顔で脅すように言うと、召使いはゼフィに向かってうなずいてみせた後、部屋を出た。すぐにドアが閉められ、外で監視兵がドアに鍵をかける音が聞こえた。
しばらくの沈黙後、二人は料理が並べられたテーブルに近付いた。
ゼフィはそっと皿を持ち上げてメモ紙を取ると、小さく折りたたまれたその紙を広げた。

ルゼフィルダ王女様

私はアバジェット領主のアレックス・ライモン・ルドーと申します。女王陛下の暗殺、そして王女様の幽閉というこのひどい状況に、私をはじめとする南部の貴族は皆憤っております。

王女様は外の状況をご存じないと思いますが、

今、シュエンザイトはランツハイム王国軍の殆どを自分の指揮下に収め、ベルフォートを中心とした北部の貴族もシュエンザイト側に付いております。シュエンザイトが率いる軍隊は『北部守護軍』と名乗り、シュエンザイトに従わなかったり、反抗する貴族をすべて粛清したりしています。
我が国は現在、血の風が吹き荒れるひどい状況でありますが、誰一人この惨状を救える者がおりません。

故に、私は南部の貴族と手を組み、シュエンザイトを討つ所存であります。そして、正統な王位継承者であらせられる王女様が、次期女王として国を治めてくださることを渇望する次第でございます。

脱出の段取りは既にすべて整っております。
しかし、これを実行するには王女様のご決断が必要です。
もし、私に賛同してくださるなら、後に再び部屋を訪れる召使いに「食事がおいしかった」と合図をお送りください。
王女様にお会いできることを祈っております。

アレックス

 

ゴマ粒ほどの小さな字で書かれた手紙を読んだゼフィは思わず緊張した。
ルウは落ち着いた表情でゼフィの横で手紙を読んだ。

「北部守護軍と・・・南部の貴族・・・ ルゼフィルダ様、南には商人の街、アバジェットがあります。おそらくアバジェットを中心に対抗勢力が集まっているのでしょう。どう思われますか」
ゼフィは再び手紙に目をやった。
アバジェットの領主アレックス・・・ ゼフィは彼がどういう人物なのか知らなかった。
あれほど信頼していたシュエンザイトの裏切りという前例もある。
「何が正しいか分からない。どうしたらいいのかも・・・」
「でもこれは千載一遇のチャンスかもしれません。確かなのは、このままじっとしていても何も変わらないということです」
「もし・・・ この手紙に書かれていることが本当なら、シュエンザイトはランツハイムをめちゃくちゃにしようとしているのね。お母様の・・・国を・・・」

ふた月が過ぎても、あの赤い雨が鮮明によみがえる。
「ルゼフィルダ様。私は何があってもあなた様をお守りいたします」
「ありがとう、ルウ。必ず一緒に・・・ 無事に脱出しましょ!」

ゼフィの声に活気が戻ってきた。今は迷っている時ではない。
彼女の目には、すでに脱出を決心した強い意志の光が見えた。
ルウはゼフィを見つめると、強くうなずいた。

食事が終わるころ、召使いが食器を下げに再び部屋を訪れた。召使いは食器をきれいに重ね、ゼフィを意味ありげに見つめた。
ゼフィは彼女に向かって、少し震える声を発した。
「食事、おいしくいただきました」
「ありがとうございます、王女様」
召使いは丁寧に頭を下げた。

それから2週間が過ぎた。
だが、ゼフィとルウが期待していた事は起こらず、何も変わらない毎日が続いた。そのうち、何が起こるのかと神経を尖らせていたゼフィは、また希望のない日々が続くのかと絶望的になっていた。
「あの手紙は何だったの。本当にここを出られるの・・・?」

それは、ゼフィがあの手紙のことを忘れかけたころに起こった。
深夜、ドォーンというけたたましい轟音がゼフィを眠りから呼び起こした。ゼフィが驚いて飛び起きたとき、既にルウは外の音に耳を傾けていた。

「ルウ、あの音は・・・?」
「作戦を実行に移したようです」
ゼフィが表情を引き締めた。忘れかけていた緊張が、再び全身に走る。
「ルゼフィルダ様。用意はいいですか」
「うん」
ゼフィが返事するや否や、ドアの外で監視兵の叫び声が聞こえた。
「何だお前ら!」
「だ、誰だ!」
監視兵の叫びは、たちまち悲鳴とうめき声に変わった。

「ぐあ!」
扉の外の戦いはすぐに終わったのか、静寂に包まれた。

しかし、すぐに扉を壊す音が聞こえ、扉は簡単にバリバリと壊れた。ゼフィとルウは、外の世界を遮っていた『壁』がいとも簡単に壊れるのを緊張の表情で見守った。
「うむ。狭くて通れない」
壊れた扉の向こうから聞こえたのは、困った様子の太い声だった。
そして穴の向こうから突然、ぬっと巨大な爬虫類の足が入ってきた。ゼフィは両目を大きく見開いた。
足すらも満足に通れないようで、その者の姿は穴からは、胸までしか見えなかった。それほど大きな体格の持ち主がいるようだった。

「トレワ族ですね」
ルウが訊ねると、向こうから答えが返ってきた。
「そうだ。中にいるのはルゼフィルダ王女か」
「ルゼフィルダ様はここにいらっしゃいます。私は護衛のルウと申します」
「私はアルゴだ。アレックスに雇われた傭兵だ。王女を助けに来た」
ルウとゼフィは互いに見つめ合い、うなずいた。

「私たちが出て行きます。あなたは・・・入れないと思うわ」
ゼフィがそう言うと、アルゴは穴から離れた。ルウが先に出て、ゼフィが通りやすいように壊れた扉の残骸を端に寄せた。ゼフィは注意深く外に出た。監視兵が床に倒れているのが見えた。
そして恐る恐る、目の前の人物を見上げた。
アルゴはゼフィの背丈からは、首が痛くなるほど見上げねばならない巨漢だった。
監視兵程度なら簡単に殴り倒せそうな巨大なこぶし、そして真っ黄色のトカゲの皮のような皮膚を持つ、生まれて初めて見る種族だった。ゼフィは王宮での生活しか知らないので、あまりにも異様で奇怪な姿に驚いて瞬きするばかりだった。

「ルゼフィルダ王女か」
「アルゴ・・・さん?」
「私も生まれて初めて『王女』を見た。お互いさまだから緊張することはない」
どこか冗談めいた言葉だが、アルゴがとても真面目に言うのでゼフィは黙ってうなずいた。

「ルゼフィルダ様、トレワはランツハイム南西部のトレワ砂漠に住む種族です。絵をご覧になったことはあると思いますが」
「うん・・・でも、実物は初めてだわ。ともかく、助けてくださってありがとうございます」
「こちらは金で雇われているだけだ。礼はアレックスに言えば良い」
「これからどうすればいいですか?」
ルウが聞くと、アルゴは監視兵が倒れている通路を指差した。
「お前たちはこっちの通路を通って出ろ。アレックスの将兵が待っている」
「分かりました」
ルウは倒れた監視兵の手から長剣を取り、前に進んだ。
「行きましょう、ルゼフィルダ様」
「うん」

ゼフィはルウに付いて歩き出そうとして、振り返ってアルゴを見た。
「・・・アルゴさん。また・・・会えますよね?」
ゼフィはまだアルゴの外見に慣れず、恐る恐る訊いた。アルゴはそんなゼフィをじっと見て、答えた。
「王女が私を雇えば、また会えるだろう」
ゼフィはうなずくとすぐに前を向き、ルウの後ろについて通路を走り始めた。
数ヶ月ぶりに見たからか、幼いころ走り回っていた通路が、見慣れない別の場所のように感じた。
しかし、走っているうちに懐かしさがこみ上げてきた。

-ゼフィ、通路を走ってはダメよ、ドレスを着ているのに。転んだら大変じゃないの。
-ふふ、本当にしようのない子ね。お前は私の後を継いでランツハイムの女王になるのよ。分かっているの?
-母親らしいことしてあげられなくてごめんね。こんな夜更けになってやっと娘の顔を見に来る母親なんて、ちょっと情けないわね。
母の幻影が目の前にゆれる。ゼフィの目に涙が浮かんできた。

今ここを離れたら、いつ帰ってこられるか分からない。
でも信じる、 ・・・必ず帰ってくる

再びこの場所に戻ってくることを胸に誓い、ゼフィは走り続けた。

通路を走るゼフィとルウを、10人ほどの兵士が待っていた。
「ルゼフィルダ王女様でいらっしゃいますか」
最初、監視兵だと思って警戒したゼフィとルウだったが、すぐに彼らが監視兵を装ったアレックスの兵士であることに気づいた。
「アレックスさんの軍隊の方ですか」
「はい、王女様。私どもがお連れいたします」
ゼフィとルウは共に兵士の方へ駆けて行った。

王城の外に出ると、うっすらと空は白み始めていた。
もう二度と立つことができないかもしれないと思っていた場所に、ゼフィとルウはいた。
ゼフィが幽閉される直前、最後に見た王城の外は、白く輝く一面の雪景色だった。しかし、いつの間にか大地は柔らかな緑に覆われていた。

それだけの時間が流れたということに気づいた瞬間、胸が詰まる思いがした。

「ルゼフィルダ様・・・」
ルウはゼフィの頬を伝って流れる涙を見た。
王女であるために自由に外出できなかったころ、あれほど飛び出したかった王城。しかし、こんなふうに外の世界に出てくることになるなんて、思いもよらなかった。
ゼフィが幼いころは、王女の責任と義務に縛られない自由な暮らしを望んでいた。
しかし、それはただの幻想だった。

この数ヶ月間にゼフィが見た悪夢は、王女として何も知らずに平穏に生きてきたことに対する罰だと思った。もう、自分勝手なおてんば少女ではいられない。
ゼフィは振り返り、雄壮な王城を見上げた。

帰ってこなければならない。
この場所こそ、自分がいるべき場所なのだから。

「お母様、必ず戻ります」
ゼフィは誓う。手の甲で涙を拭くと、ゼフィの表情はこれまでにないほど強い意志に満ちていた。
ルウは何も言わず、ゼフィを見つめた。

「行きましょう、ルウ。遠い道のりだわ」
「はい、ルゼフィルダ様。どこまでもお供します」
ゼフィはルウを激励するように、久しぶりの笑顔を見せた。
ルウもかすかに微笑み、うなずいた。

長かった夜が明けようとしていた。