―あの光景を覚えている
彼は自分の選択を、死ぬまで後悔するに違いない
そうでなかったら、彼は死んでしかるべきなのだ

 

 

冷たい銀色の月に照らされ、砂丘はうっすらと青い光を放っていた。
絶え間なく吹き続ける砂を含んだ風にも動じることなく、その者たちは微動だにしなかった。
肌寒い空気とは対照的に、その場は異様な熱気に包まれていた。
一同が輪になって囲んでいるその空間には、後ろ手に縛られ、今まさに処刑を待つ身となった者たちがいた。

「族長、なぜこいつらの処刑を指示しないのだ」
「長! 『黒角』はもはや敵だ。このまま生かしておけば、こいつらは『青月』にとって災厄となるだろう」
「アルゴ族長! 処刑を!」
「黒角トレワの滅族を!!」

野次馬の中の一人が叫びだすと、皆一斉に何かに取り付かれたように 処刑を叫び出した。捕縛された黒角の者たちは、自分たちを取り囲んでいる青月の者たちを忌々しげに睨んでいた。処刑を待つ身でありながらも、その反抗的な姿勢を崩さない態度が一層青月の神経を逆撫でしていた。
ひとしきりその場の興奮が収まった後、決断を促すような沈黙が訪れた。
青月トレワの族長『アルゴ』は、固く口を閉ざしたまま黒角トレワを見つめていた。
「・・・処刑はしない。黒角トレワはトレワ砂漠から追放する」

族長が下した決断に、その場は驚愕と怒りに沸き立った。だが族長の決断は絶対である。行き場のない怒りに族長を罵倒する声も上がる。
アルゴの隣にいた側近『ドレゴ』は、恨みがましく族長を睨んだ。
「・・・なぜだ。私には理解できない。そこまでしてその手を血に染めたくないのか」
「違う、ドレゴ。無用な血を流す必要はない。なぜいがみ合い、殺し合おうとするのだ。トレワは元々争いごとを良しとしないはずだろう・・・」
アルゴの口調には悲しみが滲んでいた。

ここはランツハイム大陸の南部『トレワ砂漠』。
巨漢の竜人族『トレワ』が住む砂漠地帯。
その強靭な肉体から発せられる凄まじい力に反比例し、トレワ族は気質的に争いを好まず他種族との衝突を恐れたため、自然と他種族が寄り付かない砂漠の奥地に居を構えることになった。
だが誤算だったのは、他種族との衝突を避けて移住したトレワが、その居住環境のせいで内部からいさかいが起こり、部族全体が大きく揺れ動いたことだった。
砂漠は生存していくには過酷な環境である。そのため、わずかな草原や水源をめぐって、トレワの中でも急進派の『黒角トレワ』と穏健派の『青月トレワ』が頻繁に衝突するようになり、ついにそれはトレワ同士の戦争にまで拡大するに至った。

青月トレワの族長は、トレワの中でもかなり若い部類に入る『アルゴ』であった。アルゴは突出した戦闘能力と冷静な判断力を持っていたが、その反面争いごとを極端に厭い、トレワ全体の融和を目指していた。
黒角トレワとの衝突が頻繁に起こり、その動きを不安に感じた青月トレワは、当初意図的に若くて中立派のアルゴを族長にして火消しを試みたが、対立を避けようとするアルゴの性向が裏目に出て、黒角トレワは本格的に敵愾心をむき出しにするようになってしまった。
そして事件は起こったのである。

その日も事の始まりは些細ないさかいからだった。
一人の黒角トレワが青月トレワの部族の領域にある井戸の水を勝手に汲んでいこうとし、守衛に見つかってしまったのである。いつもならその時点で黒角は引き下がるのだが、この日はなぜかそうしようとせず装備していた斧を構え出した。
武器を持ち出した光景を見て、青月トレワの守衛はいきり立ち、対立は本格的なものとなった。もちろん青月の領域であったため、侵入者は数でも圧倒され、あっという間に取り押さえられたがその過程で守衛の青月トレワが命を落としてしまう。
その場にいた青月トレワの者たちは復讐を名目に、侵入者の首を切り、二本の角を全て切り落としてその首を黒角の集落に送りつけた。
だが、その侵入者は黒角トレワの族長の息子だった。

送りつけられた息子の首を見た黒角の族長は憤慨し、青月トレワとの全面戦争を布告した。

開戦初期は黒角が優勢だったが、青月が数でも優位だったため、徐々に黒角トレワは劣勢に傾いた。
そして対峙状態から三ヵ月にして、黒角トレワの族長は降伏するに至る。

黒角トレワの指導者たちは全て捕らえられ、処刑を待つ身となった。
だが、そんな状況で青月トレワの族長は黒角トレワを追放すると宣言したのである。

側近のドレゴは、周りにあまり味方がいなくて若い族長のアルゴが政治的な影響力を行使できるよう、今までできるだけ彼の意見を尊重するような立場を取っていた。だが今回の決定にだけは賛成できなかった。
青月と黒角の対峙は、もはや争いを好まなかったトレワ族の時代から大きく逸脱している。すでに融和は不可能な状況にまで来ているのだ。
『冷静なアルゴの判断力を信じたいが、この選択は間違っている。アルゴを説得しなければ・・・』
黒角トレワを全て処刑して滅族する・・・そう説得しなければ青月トレワの未来も危ない。信頼を失った族長を部族の者が認めるはずがない。崩壊の予感を感じつつ、ドレゴはアルゴを説得しようと決心した。

「黒角たちをもう追放しただと!?」
翌日、朝早く族長の館に向かったドレゴは、信じられない思いでアルゴと向き合った。
「ああ。 陽が昇る前に追放した。今頃は、青月の領土から離れたはずだ」
「アルゴ、『リガド』があれで引き下がるはずがない。奴は必ず復讐しに来るぞ」
リガドは黒角トレワの部族を率いる族長であり、トレワが砂漠から出て外の世界に移住すべきだと主張する野心家であった。非常に戦闘能力も優れ、アルゴとほぼ互角と言われていた。
「今からでも間に合う。奴らを追いかけて処断しよう」
「ドレゴ、もう黒角のことは忘れるんだ。全て終わったことだ」
頑な族長の態度に、ドレゴは口をつぐむしかなかった。
この若い族長の決断が、災いを招くことにならないことを祈るのみであった。
「危惧に終われば良いが・・・」
ドレゴは強烈な日差しに焼かれ、陽炎で歪む砂丘を見つめながら呟いた。

 

 

朔の刻は真の闇。

追放され、トレワ砂漠を彷徨していた黒角トレワの者たちは、砂嵐が吹き荒れる砂漠の真っ只中で、どこからか現れた一人の人間に出会う。
その者は、黒い外套を顔までかぶっていた。

「やあ・・・ 立派な角だな。トレワ族の象徴だね?」

目も開けられないほどの強風にあおられ、立っているのもやっとの状況で、なぜかその人間の声はとても明確に、はっきりと聞えた。
「誰だ! 人間か? 我々に何の用だ!!」
風の音にかき消され、自身の声すら良く聞き取れなかったため、黒角トレワの族長はほとんど叫んでいた。訝しげに警戒する黒角トレワたちに向かって、その人間は両手を広げてみせた。
「そう警戒しないで欲しい。見ての通り、私は武器など持っていないし、君たちに協力を仰ぎたいと思い、ここまでやってきたのだよ」
ゆっくりと一言一言を発する。それはまるで演説のようであった。

その瞬間、一際強い風が吹き、彼の外套が風に吹かれて大きくはためく。外套の下から現れた素顔には見覚えがあった。
「お前は・・・」
「私はシュエンザイト。君は黒角トレワの族長『リガド』だろ?青月に追放され、砂漠を彷徨っているのか」

ランツハイム王国の宰相シュエンザイト。
穏健かつ政治力もあり、現国王を影から支え信任も厚い上、民からも絶大な支持を集めている・・・ その名くらいは砂漠に住む者でも知っていた。
だが、リガドは訝った。
―穏健・・・? これが?

シュエンザイトは続けた。
「私は今ある計画を進めていてね。成功させるためには力が要る。君たちのように屈強な戦士たちが多く必要なのだ。協力してくれるかね?」
幾分演説調ではあったが、声を張り上げているわけでもない。鷹揚に言葉を続ける彼の体からは強い何かが発せられていた。
それは、王者の気質のように感じられた。

「見返りは!?」
リガドは風の音に消されないよう、叫んだ。

「力を。君たちが棲み処を取り戻せるよう、私も黒角トレワに力を貸してやろう・・・」
「!!」
この人間はどこまで知っているのか。リガドは、この人間から発せられる『王者の気質』が、神々しさなどではなく悪魔的なものであると思った。
「悪魔か」
リガドは自嘲的に呟いた。

―息子の敵を討つため青月に宣戦布告したとき、私はトレワであることを捨てた。悪魔の力を借りてでも、青月の者を滅ぼしてやろうぞ・・・

「いいだろう。黒角トレワの力を・・・ 貸す」

―滅ぼしてやるぞ。
青月よ・・・

 

つづく