―あたしは好きな人とは絶対別れない
一緒に・・・ あたしが死ぬまで一緒に暮らすモン!

広場の灯篭は明け方まで灯された。
セレスティンは時々意識を飛ばし、最後のほうはほとんど記憶に残っていなかった。
それでもちゃんと自分の足で帰ってきたらしく、目覚めるとベッドの上にいた。長時間寝ていたようだが、体はまだ眠りを欲しているようだった。

外を見ると、すでに陽が沈みかけていた。
セレスティンは慌てて起き上がった。
師匠から、今日までに薬を調合するための材料を集めておくように言い付かっていたことを思い出した。
セレスティンは大急ぎで水色沼へ向かった。

「うう・・・ やっぱりこの時間じゃ暗くてよく見えないヨ~」
水色沼は木々の間から差し込む光がなければ真昼でも薄暗い。
黄昏ともなると、ほとんど物の輪郭しか見えないような状況だった。
こんな中で数種類の薬草を見つけることは不可能だ。
手提げの灯篭を持ってきていたが、明かりはとても頼りないものだった。
時間の経過と共にどんどん視界が狭くなり、セレスティンは徐々に心細くなった。
『でも材料を集めないと師匠に叱られちゃうし・・・ ニルティに一緒に来てもらえばよかったヨ』
暗くなるに連れ、一人で来たことに後悔の波が押し寄せる。すぐ先の茂みから、モンスターが現れて今すぐにでも襲ってくるような気がした。
「やっぱり・・・ 帰ろう。明日の朝早く来て探せばいいよね」
恐ろしさを振り払うように、わざと大きな声で言ってみる。

きびすを返そうとした時、すぐ後方から何か重量のあるものが木の枝を踏みしだく音がした。

「ひっ・・・」
驚きで、声すら出てこない。
セレスティンは、はじかれたように駆け出した。すると、後方で感じた気配もセレスティンを追って駆け出したのである。

あまりの恐ろしさに、ともかく無我夢中で走った。後ろを振り向く勇気などなかったが、足音は自分との距離を確実に狭めてきている。
陽は完全に沈み、手に持っていた灯篭も走っているうちに落としてしまったため、どこをどう走っているのかも分からなくなった。
後ろの気配との距離がさらに縮まる。

「ひ・・・ ひっ・・・」
セレスティンは半分泣き出していた。
そしてついに、何かが彼女の肩を捕まえた。

彼女はめちゃくちゃに叫んだ。だが、それは攻撃をしてくることはなく、暴れるセレスティンを何とか鎮めようと、両腕を掴んできた。
「ちょっと・・・」
掴まれながらも暴れ続け、相手に蹴りが入ったような感触がした。
困ったような声が聞こえる。
「痛いんだが・・・ 少し、落ち着いてくれないかね」
ずい分低い声。
その声は、少ししわがれていた。

 

焚き火が燃えている。
時折、頭上から落ちてきた葉っぱが炎に触れるとパチッと音を立ててはじけた。
セレスティンは、人間の男と向き合っていた。
彼女にとって、初めて見る人間だった。

―追いかけっこが中断された直後
暴れていたセレスティンも徐々に落ち着きを取り戻し、自分の腕を掴む存在を確認する余裕ができた。彼はセレスティンが落とした灯篭を手に持っていた。
「これ、君のだろう」
疲労が滲む声。
灯篭を差し出した手をじっと見つめ、セレスティンはそれを受け取った。

彼は、ある提案をした。
闇の中をむちゃくちゃに走っているうちに、村と逆方向の奥地まで来てしまった。もうすぐ夜行性の凶暴なモンスターが活動を始める時間でもある。彼は朝が来るまでは闇雲に動かないほうがいいと判断し、野宿することを提案したのだった。
セレスティンは、最初は他種族を初めて見た恐怖と、村の外で一夜を過ごすという不安から露骨に警戒していたが、男が淡々と枯れ木を集めてくるのを見て、何となく一緒に夜を明かすことにした。

 

じっと観察していると、人間と目が合った。
彼はとても優しい澄んだ目をして・・・ そして、どこかおかしかった。
姿形はマレ族ととても似ていたが、顔にはどことなく生気がなく、そしてどこか病んでいるように見えた。
まるで水分がなくて干からびてしまったようだと思った。
「君は、マレ族だね? 体の成長期は終わったようだが・・・ 歳はいくつかな?」
穏やかな口調で聞いてくる人間に、セレスティンはまだ警戒心を解けずにぼそぼそと答えた。彼女の答えに驚くこともなく、彼はただ焚き火を見つめた。
「ふ・・・ 私はもうすぐ60になる。マレ族から見れば、想像もつかない年齢だろうね」
「60!?」

マレ族のセレスティンは、『老い』を知らない。
そして、初めて見る人間が『老人』であったことも認識できないほど、彼女は幼かった。

「マレ族なら・・・ ケイティンのことを知っているだろうか。いや、でも・・・ 彼女もすでに亡くなっている年齢か?」
60という数字にショックを受けているセレスティンに、その男はぼそぼそと一人呟いた。
セレスティンは『ケイティン』という単語を聞き逃さなかった。
「ケイティン! 長、死んでないヨ、長を知っているの??」
知っている人物の名前が登場したことで、セレスティンの警戒心は解けたようだ。詰め寄った彼女は、彼を近くで見て驚いた。

「ねぇ・・・ どうしたの?」
彼は泣いていた。炎の明かりに照らされ、その表情は彼の干からびたような顔にさらに濃い陰影を作っていた。
「そうか・・・ 彼女は生きているのか」
「長が生きているから泣いてるの? どうして?」
「違うんだ。これは・・・ 嬉しくてね。笑っているのだよ」
その頬に光るものがはっきりと見えるのに、どうして笑っていると言うのだろう。セレスティンは理解できなかった。
でもそれ以上は何も言わず、ただ彼を見つめていた。

「・・・これを」
男は頬を拭うと、懐からごそごそと大事そうに布の包みを取り出した。長年持っていたようでかなり汚れていたが、布を剥いで見るととても綺麗なブローチがあった。炎の明かりで赤く染まり、正確に何色なのか分からなかったが、マレ族特有の文様が入った綺麗な装飾が施されていた。
「それをケイティンに渡してほしい。彼女が覚えていればいいんだが」
「え、もしかして長に会いにここまで来たの? なら、直接渡したほうがいいんじゃない?」
「いや、いいんだよ。本人に会うことはできない。だから、君が渡してくれるかね?」
「うん・・・ 分かったヨ。長に渡してあげる」
セレスティンはブローチを受け取った。男の表情はとても必死だった。

その後は、主にケイティンが族長として村でどんな風に過ごしているのか、普段のケイティンはどうなのかなど、ケイティンの話ばかりしていた。
主にセレスティンが話をして、男は聞き役だった。
ケイティンのエピソードを一つ聞くたび、彼は嬉しそうに笑う。
幼いセレスティンは、その笑みの意味を知らなかった。

話しているうちに眠ってしまったらしい。
セレスティンは頬に落ちてくる朝露に目を覚ました。起き上がると、いつの間にか体にかけられていた毛布が滑り落ちた。
少し明るくなってきてはいたが、まだ陽が昇る前の明け方であるらしく、うっすらと霞みかかったような青い空間の中にいた。

周囲を見回すと、荷物をまとめる男の姿が目に入った。
「起きたかね? この時期の水色沼は夜冷え込むからな。風邪をひかなければよいが」
毛布をかけてくれたことや、気遣ってくれる心配げな口調からも、彼が優しい人間であることが感じ取れた。族長の話を聞く時のほのかに上気した表情は消え、今はとても穏やかな満ち足りた表情をしていた。
昨夜はその顔に刻まれた皺や生気のない表情を見て、どこか病んでいるのかと思ったが、今朝の彼の顔はすっきりとしていた。
セレスティンは昨夜もらったブローチを取り出して見た。

ブローチは、マレ族を象徴する美しい水色だった。
『きれい・・・ きっと長も喜ぶヨ』
セレスティンは、はたして朝帰りをした自分を長が許してくれるだろうかと心配になったが、これを渡せば怒りも幾分収まるのではないかとブローチを眺めているうちに楽観的になった。

「あ・・・ そういえば、あんたの名前、聞いてなかった。名前はナニ?」
長にブローチを渡す時、誰からもらったものだと伝えれば良いのか。
今更だが彼の名を知らないことに気づいた。

「ニルセンだ。君も、名前を教えてくれるかね?」
「あ、そうか。あたしも言ってなかったネ。あたしセレスティン」
樹木の間から薄く幾筋もの光が差し込み、沼の中に浸透していった。湿度が徐々に上昇し、生命の営みが活発になる時を迎える。

ニルセンはその場を片付け、セレスティンを村の近くの安全な場所まで送り届けた。もちろんセレスティンはその途中途中、材料を集めることを忘れなかった。

村の入り口が見える場所まで来ると、彼はセレスティンに別れを告げた。
セレスティンは村に寄って行くことを勧めたが、ニルセンは頑として断り、来た道を引き返して沼の奥へ消えた。
彼女はニルセンの後ろ姿が見えなくなるまで村の入り口に立っていた。
彼は人間の世界へ戻るのだろうか。
セレスティンにとって、初めて触れた『ヒト』。
おそらく、彼は・・・

「ニルセンとニルティか・・・」

セレスティンは小さく呟いた。

老いることのない種族のケイティンは、今も少女のような若さを保っている。皺だらけのニルセンの顔と、枯れ枝を焚き火に放り込む時に見えた干からびた手の皮。
だが族長の話をすると。ひどく疲れ切っていた表情が一瞬のうちに消えて、確かに彼は若返ったのだ。
あの瞬間彼は幸せだったに違いないと、セレスティンは思った。

 

村に入ると、入り口で族長が厳しい表情をしてセレスティンを待っていた。セレスティンの姿を認めると、彼女のほうへ駆け寄る。
「セレスティン、怪我などはしてないか。そなたにもしものことがあったらとどんなに心配したことか・・・」
一晩中待っていたらしく、ケイティンの美貌にも疲れが滲んでいた。
「ごめんなさい、長~ あたし大丈夫だヨ。何もなかったし、ほら、この通り元気だヨ」
セレスティンがあまりにも悪びれることなく明るく言うので、マレの族長はやれやれとため息をつく。

そして、族長の背後からセレスティンの師匠からの第一声が飛んだ。
「セレスティン! 無事だったのか。心配したぞ。昨夜はどこに行っていたのだ!!」
彼も一睡もしていないらしく目が充血していた。彼の場合、心配が怒りに転じたらしく、説教モードに入ろうとしていた。セレスティンはそうはさせまいと、族長に布の包みをさっと渡した。
「セレスティン?」
差し出された包みを受け取り、困惑の表情で手にあるものを見つめる。
「長、それ開けてみて」
急に真顔になったセレスティンに戸惑いを覚えながら言われたとおりにする。

最初、その包みの中身を見た時、ケイティンの表情に変化はなかった。
一瞬大きく目を見開いてから、すぐに無表情になっただけだ。
ケイティンは無言でブローチを眺めていた。そしてゆっくり族長の館に向かって歩き出した。
皆は呆然とケイティンの後ろ姿を眺めるばかりだった。

夜。
昼の間ずっと師匠にしぼられて、へとへとだったセレスティンは、族長の館に向かった。ケイティンは窓から見える広場の灯篭の明かりを見つめていた。
「長・・・ 聞きたいことがあってきたヨ。ニルセンのこと・・・」
話を切り出したは良かったが、まだ自分の中でどう続ければ良いのか迷っていた。

「セレスティン。彼は元気だったのか」
ケイティンは穏やかだった。
「うん・・・ でもどこか体が悪いのかもしれない。何だかおかしかったの。とても・・・小さかったヨ」
「そうか」
穏やかだったケイティンの口調に、悲しみが混じる。

「彼は年をとり、老いていく。我はニルセンを選択することはできなかった。我が死んでからも、彼はさらに長い時間を生きなければならない。我と一緒になるということは、我が死んでもなお彼の時間を縛り付けることになると思ったのだ・・・」
「長・・・ 本当はその人間と一緒になりたかったの?」
「もう一度、同じ選択肢に直面しようとも、一緒に・・・ なることはないだろう。我はマレ族で、彼は人間だ」
「どうして・・・」セレスティンは涙声になっていた。

「・・・このブローチは、彼に別れを告げる時に我があげたものだ」
「うん・・・ ニルセン、それすごく大事そうに持ってたヨ。でも長に会いたくてここまで来たはずなのに、村には絶対入らないって・・・」
「彼は今の自分を我に見せたくなかったのだ。年老いた自分を、変わってしまった自分を・・・」
ケイティンは窓の外に目を向ける。その横顔は、とても綺麗だった。

結局それ以上詳しい事情を聞くことは憚れたため、セレスティンは自分の家に戻った。

族長とニルセンの間に、どんなことがあったかは詳しく分からない。
老いや寿命が伴侶を見つけることにどれほど影響を及ぼすのかも、幼いセレスティンには実感が湧かなかった。
だがケイティンの話を聞く時のニルセンの表情や、ニルセンとの別れを話す時のケイティンの表情から、二人の間にはきっと深い何かがあったのだと思った。

『あたしは長みたいに、すごく好きな人ができるかな・・・』
セレスティンは二人のことを思うと悲しくなったが、その一方で、互いを想うひたむきさが少しだけ羨ましかった。
『あたしは運命の相手に出会ったら、絶対にあきらめないヨ! 絶対に幸せになるんだ!!』
心に固く誓うセレスティンだった。

セレスティンの運命の相手との出会いは、もう少し先のこと。
だが相手は、マレ族よりはるかに長生きするトレワ族なのであった・・・