空には星が出ていなかったため、方向がわからなかった。
自分がどの辺を彷徨っているのかすら分からないまま、ともかく先に進む。自分が登っているのか下っているのかも分からなかった。
さっきから左腕の腫れがどんどんひどくなり、左の脇を押すと胸に一瞬意識が遠くなるほどの激痛が走る。どこかで治療をしないと、北部軍に見つかって殺されるまでもなく、野垂れ死にするかもしれない。
雪の勢いは益々激しくなり、顔に当たる雪結晶で視界が遮られる。這うように進んでいるうち、前方に赤い光源が弱々しく回転しているのを確認した。

「やったぁ! 『ピラー』ですぅ! これで助かりますぅ!!」
イグトンは残った力を振り絞って駆け出した。ピラーは古代の遺物で、不思議な力を宿す宝石が嵌められた石のオブジェであり、触れた者の体力を回復させる機能があった。だからこそ、戦場では陣取り合戦の旗としても認識され、赤い宝石は『北部軍』、青い宝石は『南部軍』のモノとしてピラーは区分されていた。大陸の北部は北部軍の占領地となっていたため、ピラーの宝石の色は赤だった。
イグトンは懐から、この赤いピラーに接続することを可能にする機器を取り出し、作動させる。
途端、作動させた機器を通じて傷ついた身体に癒しの力が浸透してきた。さっきまでイグトンを苛んだ痛みが薄れていく。
やがて腕を動かせるまでに回復すると、イグトンは接続した機器を外した。北部軍のピラーなら、近くに北部軍の兵士がいるかもしれない。
長居は無用だった。

イグトンは、ピラーが設置されている場所から大体の位置を把握することができた。落ち合うことにした山小屋からは、さほど離れていなかった。あの時、山の中腹辺りまで転がり落ちたのに、この程度の怪我で済んだのは幸運だったのかもしれない。
イグトンは先ほどの逃亡が失敗に終わっていたらと思うと身震いがした。
『何とかこの危機さえ乗り切れば・・・』

いつの間にか雪は止んでいた。
山小屋までは半時も歩けば着く距離だ。
追っ手もかかっていないし、このまま何事もなく逃げ切れるかもしれないと、怪我の痛みが引いたせいか何だか楽観的になっていた。
静寂に満ちた山には、深雪を踏みしめる音とイグトンの弾んだ息遣いしか聞こえていなかった。夜行性動物の鳴き声も、北部軍の喧騒も聞こえて来ず、イグトンは安心して歩を進めた。

そして前方に眼を凝らすと、木々のシルエットの間に小ぢんまりとした山小屋のシルエットがあった。イグトンは安堵のため息をつきながら山小屋に近づく。
すると、左のほうから誰かが叫んだ。

「イグトン!! ふせなさい!!!」

声のする方向に顔を向けたイグトンの真正面で、突然巨大な爆発が起こった。
爆風に吹き飛ばされたイグトンは背中から地面に落ち、激痛で眼前が一瞬真っ暗になるほどだった。ピラーで完全に回復してこなかったことを悔やみながら何とか身を起こすと、山小屋が炎上していた。
そして、炎に包まれた山小屋が突然むっくりと起き上がったのである。

「ほえぇ・・・山小屋が、動いてますぅ!!!」
「イグトン、よく見ろ。あれは山小屋じゃない」
声の主はここで落ち合う約束をしていた両親だった。
仰天して叫ぶイグトンの横に立った両親は、身体中傷だらけだった。そして母を片手で支える父の手には、長銃が握られていた。
「父さん、母さん、怪我を!?」
「ああ、お母さんは足をやられた。我々はお前より先にここへ着いていたんだが、山小屋だと思って入ろうとしたら・・・あれが・・・」
母の足を見ると、左足がありえない方向へ曲がっている。苦しそうに顔を歪める母を見て、イグトンは動転した。
「そうだ! あ、あっちに、ピラーがありますぅ。そこまで行けば母さんの足も直せ・・・」
早口でまくし立てるイグトンの言葉が終わらないうちに、聞く者を震え上がらせるような咆哮が響き渡った。
「!!」
それは機械の軋みのようでもあり、獣の唸りのようでもあった。

今や完全に四つの足を地につけて立ち上がったソレは、山小屋などではなかった。炎を纏った巨大な胴体は表面が焼け爛れ溶け始めていた。鉄筋のような骨が幾層にも絡まって四本の足を形成し、表面を覆っていた皮膚のようなものは既に溶けていたが、本体には全く影響がないようだった。
そして遥か頭上に咆哮を上げている頭部があった。

それは、人間の顔だった。
異常なまでに顎が下がり、口周辺の皮膚はすでに裂けていた。 巨体の上についた頭はひどく小さく見えたため、奇怪な風貌を一層際立たせていた。

その現実離れした生物は、空気を震撼させるほどの咆哮を上げ続け、自身に熱を与えた者に対し憎悪を表出させた。

「あれは、なな、な、何なんですか!! もしかしてあれって北部軍の怪物兵器じゃ・・・」
生まれて初めて目にする怪物兵器『センティネル』はイグトンにとって衝撃そのものだった。
「くっ、運搬していた武器の材料を全て落としてしまったから・・・あれが最後の爆弾だったのに。この銃ではとてもあの怪物を倒せないぞ」
足を怪我した母を肩で支える父も、腹部に怪我を負っており、息をするのも苦しそうだ。
「イグトン、あなただけでも早く逃げなさい、私たちのことはいいから」
「嫌ですぅ! そんなことできるわけないじゃないですかっ!! 早くピラーまで行きましょ」
イグトンは母の腕を取り、父が支える反対側の肩を支えた。
「諦めちゃだめですぅ、僕たちは、必ず生きて帰るんです!!」
あの爆発にびくともしなかった怪物から逃れることができるだろうか。
イグトンは、まだ北部軍のほうがましだったかもしれないと思った。

突然、咆哮が止んだ。
「しぃぃ・・・」
鋭い風の音が耳を掠める。
イグトンが走りながらわずかに首だけ動かして後ろを振り返ると、怪物は二本の前足を高く上げ、闇夜の空に向かい息を吸い込んでいるかのようだった。
「この音は、怪物が空気を吸い込む音なのか?」
怪物の本体には、それ以上燃える物質はないらしく、微かな残り火が所々赤く縁取っている。恐ろしさを感じながらもイグトンは怪物から目が離せなかった。怪物は何をしているのか、どう動くのか、この期に及んで探究心は捨てきれなかった。
吸い込めるだけの空気を吸い込み上半身を限界まで膨らませた怪物は、後ろ足にぐっと力を入れると次の瞬間、遥かな高みへと跳躍した。
「飛んだ!?」
動きを見ていたイグトンは怪物の体が放物線を描くのを追い、轟音と共に3人の眼前に着地するまで見守った。
目の前に立ち塞がる怪物は、圧倒的な質量を感じさせた。
木々のてっぺんまで届く巨体。
表皮は焼け爛れ、蔦のように絡まった骨がむき出しになっている。
半分溶けてしまった顔は辛うじて目と口が判別できるほどだった。
片方の目は消えていたが、もう一方の目は無事らしく、思いっきり見開きギラギラと3人を睨んでいた。
憎しみ、怒りに続いて、一瞬ではあったが怪物の目には悲しみもよぎったような気がした。

イグトンの両親は、息子を庇うように前に進み出た。
自分たちは逃げ切れないだろう・・・だが、息子だけは命に代えても守らなければ。

怪物が三人に向かいゆっくりと口を開く。
喰われるのか!?と思い無意識に目を閉じようとしたら、怪物はまたもや空気を吸い込む。
だが、さっきとは決定的に異なる点があった。
吸い込まれていく空気がきらきらと光を放っていたのである。
まるで雪の結晶のような光の粒が、吸い込まれていく空気の中で煌いていた。驚いたイグトンは一歩前に踏み出ようとしたが、強い力に突き飛ばされよろめきながら尻餅をついた。
イグトンを突き飛ばしたのは、母だった。
「母さん?」

母は数メートル先で、イグトンを見つめながら力なく微笑んだ。
やがて母が雪の中に倒れ、重なるように父の身体が崩れた。
「母さん! 父さん!!」
駆け出そうとするイグトンを両親の鋭い言葉が制する。
「イグトン、逃げるんだ! 逃げるなら今しかないぞ」
「そうよ、逃げなさい。あなただけでも生き延びるのよ」
みると両親の身体を光の膜が覆っている。光の膜は、一つの筋となり空中に吸い上げられた。
怪物は父と母の身体から出た光の粒を吸い取っていたのである。

逃げるなら今しかないのは確かだった。両親に気を取られている今なら、怪物の興味がこちらを向く前に逃げられるだろう。
だがイグトンは起き上がり、父が落とした長銃を手に取った。
手の震えが止まらず、至近距離にも関わらず怪物に狙いを定めることが難しい。
怪物に銃を向ける息子を見て、母は上に被さった夫の胸ポケットから小さな機械を取り出した。それを見た父は、妻の顔を見て小さく頷いた。そして、父は最期の力を振り絞りその機械をイグトンのほうに向けて投げたのだった。
正確にイグトンの足元に落ちたそれは、爆発した。
目が眩むほどの閃光がはじける。
そこでイグトンの意識は途切れた。

 

イグトンが目覚めたのは、それから3ヶ月も後のことだった。
彼を保護したのはレジスタンスの仲間で、そこはアビス・レジスタンスのアジトだった。
イグトンの父が投げた機械は一種のワープ装置で、まだ試行品だったため空間を越える際にかかる強大な圧力を回避する処理が施されていない危険な代物だった。父は、それでも一か八かでそれを使ったのだ。
そのワープ装置は小型で、元々は機材を運搬するために開発されたものだったので生物の運搬には不向きだったらしい。イグトンが飛ばされたときも両足両手を骨折し、ひどい有様だった。
3ヶ月も昏睡状態に陥っていたが、イグトンは目覚めた。

外は雨だった。
雨の匂いには微かに腐臭が混じっていた。
アビスベルクの長い冬が終わろうとしている。

イグトンは、部屋の中で自分の手足を動かしていた。
目覚めてからすぐにリハビリを始めたおかげで、以前ほどではないがだいぶ動かせるようになったようだ。これなら間もなく元通りになるだろう。
彼には完治したらすぐにでも取り掛かりたいことがあった。
「怪物兵器センティネル・・・ 僕の両親を・・・」

あの日のことは一生忘れることなどできないだろう。
光の粒を吸い取る怪物、徐々に力を失っていく父と母。
何もできなかった不甲斐ない自分。
あれは見間違いなどではない。
怪物が吸い取っていた光の粒こそは、両親の命そのものだったのだ。
どういう方法なのかは分からないが、奴らは生物の生命力をエネルギーに変換して、自身に取り込む能力を持っているに違いない。

そして、閃光の中で見た、記憶が途切れる直前の光景・・・

遥か頭上から地上に向かって落ちてきた一本の光の柱。
天空のラ・ストラダから一直線に伸びた光の柱に、あの怪物が吸い込まれていったのだ。
両親を喰った怪物。その怪物を喰った天空の要塞。
イグトンの目には、世界を支える神のような存在が、怪物の親玉として映るようになった。

イグトンはそのことを誰にも口外しなかった。
両親は北部軍の追っ手に殺されたと報告した。
やがてケガが治ると、彼はレジスタンスを脱退した。そして今や父の形見となった壊れたワープ装置を改良して、世界各地を安全に移動できる輸送機を作った。彼は世界各地を回りながら怪物兵器に関する資料を集め、ラ・ストラダについても研究した。その没頭ぶりに、他のアビスたちは辟易して彼の元を離れた。彼は研究の合間にふと孤独を感じるようになった。そんな時、彼の父が使っていた長銃を長時間眺めて過ごした。

ある日、イグトンは一通の手紙を受け取った。それは彼の唯一の理解者である叔父の『ホグトン』からの手紙だった。
イグトンは手紙の文字を追うように読み上げた。
「ルハルト盆地に北部軍が結集していて・・・何か大掛かりな装置を設置している。部品を供給した仲間からの情報だと、巨大なエネルギーを集めて、空間に制約を受けず長距離を移動できるようにする装置らしい・・・」
イグトンには思い当たる節があった。
天空の要塞と怪物兵器。
ここ最近、ランツハイム王国の王女復権を掲げる南部軍が勝利を続けているという。大陸の南部まで進撃した北部軍は今や大陸中部まで撤退を余儀なくされているとか。
なら、北へと退いている北部軍は、中部のルハルトで一気に勝負に出る可能性がある。間違いなく怪物兵器を使うはずだ。
そしてルハルト戦の決着がつき役目を終えた怪物兵器を回収する時、その大掛かりな装置を使うのではないか・・・
「回収先は・・・空に浮かぶ 『ラ・ストラダ』・・・?」
自分の想像通りだと、ルハルトに設置される装置はラ・ストラダに繋がっている。
イグトンは居ても立ってもいられず、父の長銃を手にとって部屋を飛び出した。

―向かう先はルハルト。

 

長い回想に耽っていたイグトンの意識が現実へと戻った。
意気込んでルハルトに乗り込んできたまでは良かったが、逆に北部軍に捕まって捕虜となってしまった・・・
「あう・・・ 情けないですぅ~ 僕ってやっぱり戦いには向いてないですねぇ・・・とほほ」
このままラ・ストラダの疑惑も解けず両親の仇も討てないまま、北部軍に処刑されてしまうのだろうか。
「・・・落ち込んでちゃだめですね。僕は必ずここから脱出してみせますぅ。そして、ラ・ストラダへ行くんですぅ! あの装置の設計図はすでに僕の頭の中に入ってますから、僕もラ・ストラダまで行ける装置を作れるはずですぅ」
ぐっと拳を握りながら叫んでいると、また爆音がした。今度はかなり近い。
続いて兵士たちの怒声が聞こえてきた。
ほとんどは言葉にならない悲鳴や呻きだったが、一瞬『南部軍がここまで!!』という叫び声が聞こえた。
それを聞いたイグトンは、興奮して格子をつかんで大声で叫び出した。

「いやだぁぁぁ、誰か助けてくださぁぁい!! このままじゃ死ぬぅぅぅ!!」
「ラ・ストラダから地上を見下ろすのが生涯の夢なのにぃぃぃ!」
「ああ、このまま僕の夢は破れてしまうのかぁぁぁ」

無我夢中で叫んでいるうちに突然鳥かごが傾いたかと思うと、防壁ごと後ろに倒れていく。

「あ、あわわわわわわ!!!!!」

どーんという音と共に防壁が倒れ、大量の土ぼこりが舞う。倒れた拍子に防壁のてっぺんに吊るされていた鳥かごもあっけなく壊れた。
イグトンは、鳥かごの残骸を払いのけて飛び出した。
「ぼ、ぼ、僕生きてる、僕生きてるんですね?? いやいや、ついに解放されたんですね!?!?」
感極まってまくし立てるイグトンだったが、目の前に立っている者たちは複雑そうな表情をしていた。どうやらアビス特有の早口と騒がしさに驚いている風だった。
見たところ様々な種族が混じっていたが、彼らはまぎれもない南部軍だった。

イグトンは、助けてもらったことに感謝し、とりあえず安全な場所に辿り着けるまでその者たちと同行することにした。
最初、戦場の真っ只中にアビスがいることに彼らは疑問を抱いたようだったが、陽気なアビス族の態度を見せると信じてもらえた。

『今回も僕は生き残った・・・これはやっぱり、僕はまだ死ぬ時ではないという何かの啓示だと思いますぅ!』

「待ってろよ、ラ・ストラダ。必ず化けの皮を剥がしてやる・・・!」

イグトンは心の中で改めて誓う。
両親の死と怪物兵器、そしてラ・ストラダの謎を解明すると。
そのためには、何としてでも天空の要塞『ラ・ストラダ』に辿り着かなければならない。

彼は覚悟を新たに、長銃をしっかりと握り締める。
そして無事の脱出を喜ぶように、軽やかな足取りで南部軍たちの後をついて行った。